磯蔵酒造(笠間市稲田・磯信子社長)の磯貴太専務はこのほど会見を開き、極秘に進めていた同社のニューヨーク進出が失敗に終わったことを正式に発表した。
 磯専務によれば、16年1月、ニューヨークで話題のアートなエリア、トライベッカ地区にオープンした「gallery gen」(稲里ラベルの書家、幸義明氏主宰)のオープニングレセプションで稲里が好評だったこと(磯蔵新聞三号二面参照)をきっかけに、ニューヨークの和食をはじめとする日本文化への注目度の高さを認識。以来、同専務が緊急渡米するなど輸出に向けた準備を6ヶ月に渡り内密に行っていたという。ふだん「地元に飲まれてこその地酒。磯蔵は輸出を考えておりません」(磯蔵新聞3号2面)と豪語していた磯蔵だけに「いったい何があったのか」と注目を集めたが、同専務はいっさいの質問を受け付けず、釈明と謝罪に終始した。

・・・◇・・・

 磯専務によれば、きっかけは、「gallary gen」で開催された笠間の陶芸家寺本守氏の展覧会に、オープニングパーティー用の稲里を持参し参加したことによるという。
 「パーティーの最中、ホストが『今夜の日本酒を造っているのはコイツだ!』と私を会場内のニューヨーカーたちに紹介してくれたんです。するとNYで最先端を自負する芸術家や、資本家等のセレブたち、そして和食レストランのオーナーやシェフ等、NYの『和』に携わる人たちから握手を求められ『旨い』、『素晴らしい!』、『何処で買えるのか?』、『行きつけのレストランへ置くように言ってやる』、『早く輸出しろ』、はたまた『俺と共同出資でこっちに蔵を造ってNY初の地酒を造ろう』など、嬉しい冗談まで飛び出す始末でした」と同専務。
 すっかり気を良くし、冗談を本気で受け止めたのか、翌日からマンハッタン中の有名和食レストランや寿司店を歩き回り、多くの商談に成功。さらに寺本氏の紹介で、有名俳優が経営する和食レストランのシェフや、NYで和食レストランを経営する大企業のNY支社長と会うなど貴重な経験をしたことが、同専務の『稲里はNYで売れる』という思い込みに拍車をかけてしまったと振り返る。そのため、食べ過ぎ呑み過ぎも手伝い、ベルトもはち切れんばかり、身も心も自信満々で帰国したという。

・・・◇・・・

 帰国後は、早速、不慣れなパソコンで翻訳ソフトと奮闘。『稲里を置いてみたい』というレストラン数件の紹介で、日本酒輸入代理店のW社とS社にメールで商談を行ったという。しかし、「順調に契約に漕ぎ着けられると思っていたのですが、その返事は浮かれきっていた私にとって相当厳しいものでした」と同専務は大きな肩を落とす。
 具体的には、輸入数量や価格は、代理店側が決定する一方、販促を含むほとんどの経費と、酒に関わるすべてのリスクは磯蔵が負担するという内容で、契約には専門の外国人法律家(弁護士)や通訳を雇う必要があり、「さすがは訴訟国家のアメリカ、何かあったときはすべて訴訟問題になるだろう」(同専務)というものだった。「あわてて、よその業社も当たってみましたが、結果はほとんど同じか、より厳しいもの。最悪自分でできないものかと調べたところ、大量に輸出しないと、酒一本あたりがえらい高額になってしまい、当蔵が目指す『日常の酒』なんかとても実現不可能」であることを悟ったという。
 「考えてみれば当然ですよね。いくら大事なお客様の依頼でも、見ず知らずの、それこそ地球の裏側の国の英語もろくに話せない奴の品物を買わなきゃならない訳だもの。今さらながら、茨城の酒における輸出の先輩たちが、『アメリカへの輸出は結婚と同じ。結婚相手は焦らずじっくり探さないと後で離婚、訴訟問題という不幸な結末になる』と言っていた意味を理解できました。ましてや、『地元に飲まれてこその地酒。磯蔵は輸出を考えておりません』と、地元との婚姻届を出しているわけですから。今回の件は浮気もいいところ。いや、浮気をしようとしたけど、する度胸も経済力も無くて、結局出来ずに家に帰った。といった情けない話でしょう」と語り、ばれて大事になる前に自供したという。
 最後は、「地元稲里ファンの皆様、この度はスケベ心をだしまして、大変申し訳ございませんでした。今後は二度と(多分)このような事はいたしません。今後ともどうか末永く宜しくお願い申し上げます」と、内部告発を受け謝罪する警視庁や銀行幹部さながらの姿勢で陳謝した。

磯蔵酒造有限会社/茨城県笠間市稲田2281番地の1/電話(0296)74-2002